熊本県 玉名市 公開日: 2025年10月28日
江戸時代の米輸送を支えた!「高瀬御蔵跡」の貴重な歴史を紐解く
玉名市指定史跡「高瀬御蔵跡」は、菊池川流域の年貢米を保管し、大坂へ輸送する藩営施設でした。
江戸時代を通じて、高瀬御蔵からの米出荷は熊本藩全体の半数を占め、藩と地域の財政を支えました。
明治10年の西南戦争で建物は焼失しましたが、礎石などの遺構や瓦、炭化米といった遺物が出土しています。
隣接地には国史跡に指定されている御蔵の礎石も存在します。今回検出された礎石列と凝灰岩切石列からは、境界の存在や、江戸中期以降の数回の建替え・増築の可能性が示唆されています。
礎石の正確な年代は不明ですが、西南戦争の焼土層下から見つかっており、江戸時代末期までさかのぼる可能性があります。
この遺跡は、地域の歴史を理解する上で欠かせない貴重なものです。
江戸時代を通じて、高瀬御蔵からの米出荷は熊本藩全体の半数を占め、藩と地域の財政を支えました。
明治10年の西南戦争で建物は焼失しましたが、礎石などの遺構や瓦、炭化米といった遺物が出土しています。
隣接地には国史跡に指定されている御蔵の礎石も存在します。今回検出された礎石列と凝灰岩切石列からは、境界の存在や、江戸中期以降の数回の建替え・増築の可能性が示唆されています。
礎石の正確な年代は不明ですが、西南戦争の焼土層下から見つかっており、江戸時代末期までさかのぼる可能性があります。
この遺跡は、地域の歴史を理解する上で欠かせない貴重なものです。
高瀬御蔵跡って、菊池川流域のお米が江戸時代に大坂まで運ばれてたなんて、すごい歴史の舞台だったんですね。西南戦争で建物はなくなっちゃったけど、礎石とか炭化米が出土してるって聞くと、当時の様子が目に浮かぶようでロマンを感じます。隣接する国史跡の礎石と合わせて、江戸中期以降の建替えや増築の可能性まで示唆されてるなんて、発掘調査って本当に色んな発見があるんだなって感心しちゃいます。地域の歴史を支えた大切な場所なんですね。
そうなんですよ。高瀬御蔵跡、すごいですよね。お米が全国に運ばれてたなんて、想像するだけでワクワクします。建物がなくなってしまったのは残念ですが、出土品から当時の様子がわかるっていうのが、歴史の面白さというか、ロマンを感じさせてくれますよね。礎石の列から建替えや増築の可能性がわかるとは、まさにタイムカプセルみたいです。地域の歴史を紐解く上で、本当に貴重な発見だと思います。