秋田県 秋田市  公開日: 2025年10月20日

秋田市の歴史を彩る、驚きと懐かしの出来事

秋田市は、公文書の中から歴史的に重要で興味深い資料を「特定歴史公文書等」として公表しています。

市章は、一般公募で決まらず、紋様学者に依頼し昭和3年に決定しました。
市役所は明治38年の火災後、土手長町上丁に2代目庁舎を新築移転しました。
黒川油田は、大正3年に原油が噴出し、日本有数の大油田となりました。
秋田駅の設置場所は、市の東西で議論の末、東側に決定しました。
大正8年には、市制30周年を祝う飛行船形大風船が寄贈されました。
市町村制施行当初、村会議員の正装は羽織袴でした。
蛇腹折りのあいさつ原稿は、昭和13年の公文書に残されています。
秋田商業高校の前身である秋田市商業学校は、大正8年に設立提案され、翌9年に開校しました。
初代秋田市長・小泉吉太郎は、市制施行後の組織整備を経て、明治22年5月に就任しました。
旧国立農業倉庫は、新屋町の一部を埋め立てて造成され、現在も教育施設として活用されています。
市中を走った路面電車は、昭和40年頃まで交通の大動脈でしたが、バスに取って代わられました。
千秋公園の時鐘は、軍事資材として供出されましたが、市民の力で「平和の鐘」として復活し、「千秋の鐘」と親しまれています。
藤倉水源地は、明治36年から工事に着手し、明治44年に完成した近代水道で、秋田市は東北初の導入でした。
昭和初期には、東北一といわれた「将軍野遊園地」がありましたが、戦争の影響で閉園しました。
秋田城跡は、古代の地方官庁として機能しましたが、後に忘れ去られ、現在は史跡公園として整備されています。
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秋田市の歴史って、知れば知るほど興味深いですね。市章が紋様学者の手で決まったとか、路面電車が交通の大動脈だったとか、時代を感じさせるエピソードがたくさんあって。特に、戦争で一度は失われた時鐘が「平和の鐘」として復活した話には、なんだか胸が熱くなります。歴史を大切にしようとする人々の想いが伝わってくるようです。

おっしゃる通りですね。私も読んでいて、秋田の街が色々な時代を経て今の姿になったんだなと、しみじみ感じました。特に、時鐘の話は感動的でした。失われたものを、みんなで力を合わせて蘇らせたというのは、本当に素晴らしいことですよね。そういう歴史を知ると、街への愛着も一層深まる気がします。

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