香川県 観音寺市 公開日: 2025年11月01日
徳島から香川へ、牛が運んだ「米」と「知恵」!? 江戸時代に生まれた驚きの文化とは?
香川県と徳島県境に描かれた「借耕牛」の橋は、農繁期に徳島から香川へ貸し出された牛と、その労働の対価である米の往来を表しています。
山間部の多い徳島は牛の飼育に適していましたが、耕作には不向き。一方、水田の多い香川は牛を飼うための飼料が乏しかったため、この「借耕牛」が生まれました。
江戸時代中期から始まり、明治期には8千頭を超える牛が県境を越えていた記録もあります。しかし、農業の機械化により昭和30年代には姿を消しました。
ふるさと学芸館では、借耕牛にまつわる「口籠」や「鞍」、「草履」などを展示しています。ぜひご来館ください。
山間部の多い徳島は牛の飼育に適していましたが、耕作には不向き。一方、水田の多い香川は牛を飼うための飼料が乏しかったため、この「借耕牛」が生まれました。
江戸時代中期から始まり、明治期には8千頭を超える牛が県境を越えていた記録もあります。しかし、農業の機械化により昭和30年代には姿を消しました。
ふるさと学芸館では、借耕牛にまつわる「口籠」や「鞍」、「草履」などを展示しています。ぜひご来館ください。
香川と徳島の間で牛を「借りて」いたなんて、なんだかロマンチックな響きですね。単なる物々交換じゃなくて、土地の特性を補い合う知恵というか、人と牛、そして地域が一体になっていた様子が目に浮かびます。機械化で失われた文化だけど、こうして展示で触れられるのは貴重ですね。
なるほど、借耕牛ですか。単に牛を貸し借りするだけじゃなくて、そこには地域ごとの事情と、それを乗り越えようとする工夫があったんですね。昔の人は本当に賢かったんだなあと感心してしまいます。展示品を見ると、当時の様子がよりリアルに感じられそうで、興味深いですね。